Dialog in the Dark TOKYO 長期開催にあたり(2009.3)


2001年3月に、私は日本に初めて訪れた。そして、そこでの温かいもてなしと、お互い敬意を持って接し合う日本人の姿に圧倒された。せんだいメディアテークにて開催された日本版のダイアログ・イン・ザ・ダークにおいて、感動したことを鮮明に覚えている。暗闇の空間に入れるのは1時間ごとに1組のみ。その背景にある思慮深さ、美意識の高さ、詳細への配慮、そして、暗闇の空間から得たさまざまな感性。これらは忘れることもない感銘を残し、この体験から私自身の活動は本質的に意義深いものになった。

それ以来、私と妻のオーナは毎年来日している。私たちは日本が大好きで、また、シンスケと彼のチームと一緒に活動ができることを誇りに思う。常に前向きに進み続けることで、毎年、数々の素晴らしい開催を成功させ、それは現在の長期開催を達成するまでの大事な一歩となっていた。私達は社会起業家として、視覚障がい者の新たな雇用機会を創出し、障害に関する認知度をより上げることができた。数年後にはダイアログ・イン・ザ・ダークを通して、東京に住む人々の意識にも変化が表れるであろう。

現在の物質的に豊かになった世の中では、人間は倫理と人道的な価値観とを損ないがちであり、利己主義になる。しかし暗闇のなかで人間は誰でも平等であり、それぞれの中にある根本的な価値観を思い出し、謙虚さや感謝を甦らせることができる。困難に直面しても、お互い協力し合えば一緒に乗り越えられることを誰でも知っている。それをダイアログ・イン・ザ・ダークを通して実際に体験できる。

現在がちょうど東京でダイアログ・イン・ザ・ダークの長期開催を始めるのに適切な時期なのであろう。今まで参加・協力してくださった方々に感謝すると共に、日本でのダイアログ・イン・ザ・ダークの成功を祈ります。

DIALOG IN THE DARK 発案者
DIALOG SOCIAL ENTERPRISE CEO

哲学博士 Andreas. Heinecke(アンドレアス・ハイネッケ)

ハイネッケインタビュー(2007年 NHK)


――そばにいる誰かは、あなたを助けてくれる人なのです――
(映像:1分12秒)


わずか8名のためだけにあるイベント。
今の世の中に最も必要なものであるはずだが最も成立しづらいプロジェクトである。
大量生産、大量消費の時代はすでに終りを迎えつつあるものの、この採算の合わないイベントは非合理なのだろう。しかし私は常設展のあるヨーロッパのようにダイアログ・イン・ザ・ダーク(ダイアログ)をどうしても日本に根づかせたい。

15年前、日本経済新聞の囲み記事でヨーロッパには眼で見ない展覧会があることを知った。案内人は視覚障がい者。チケットは完売状態にあり発案者のハイネッケ博士はこれを世界中に展開したいと願っているとある。私は衝撃を覚えた。いわゆる健常者と障がい者の立場が逆転してしまうこと。そしてそのイベントを求めチケットが手に入らないということに。

時代はもうそれを求めているのだ。そう真の意味での対等を!

早速ハイネッケに詳細を知りたい旨と、日本でも開催したいことを記した手紙を書いた。ハイネッケから承諾の返事はもらったもののそれからの歩みは遅く、遠くドイツで随分心配していただろうと思う。しかしその温かい見守りと励ましが私や仲間を支えてくれた。いつかヨーロッパのように! ヨーロッパでは官・民がダイアログをサポートし常設を維持している。我が国も同じ条件が揃ったなら社会が新しく変わるために一つの大きな礎となるだろう。このイベントは体験者に様々な気づきと学びをもたらす。
現段階では入場料から運営費を賄う必要が大きくチケット代が高い。そのために参加者の方々への負担が多く本当に胸が痛い。しかしいつかこの8名のためのイベントに国が力を貸してくれたならもっと多くの方が体験できる。そして視覚障がい者達の自立と新しい雇用にも繋がるのだ。

私達はその常設が社会のインフラとして実現するその日が来るまで走り続ける。

ようやくダイアログは長期開催にまでたどりついた。苦しい時期にも力を貸し続けてくださった企業、仲間となってくださった方達にこの場を借りて心から感謝をお伝えしたい。


DIALOG IN THE DARK JAPAN CEO
ソーシャルエンターテイメント・コンサルタント
志村(金井)真介 

 

 ハイネッケ×志村(金井)真介インタビュー(2002年 ソトコト)



くらやみは、ひとを正常にもどすメディアである。このプロジェクトは、生活環境、習慣の違う人たちが、出会うためのプラットフォームなのだ。

志村(金井)(以下K):このプロジェクトのコンセプトは、まっくらやみの会場をつくり、その中に参加者が何人かで入り、視覚障害者が、案内するという実にシンプルなものですが、まずあなたがどのようにこのプロジェクトを発案したかを話していただけますか?

ハイネッケ(以下H):1986年、私がラジオ局で働いているときに、事故で失明した若いジャーナリストの採用が決まり、私が彼の教育係に任命されたのがきっかけです。そのとき私は、きっと誰もがそうだと思いますが、この障害者の若者とどう接していいかわかりませんでした。その少年が不安だったように、自分も不安だったのです。

K:彼を傷つけたくないし、かといって仕事はできるようになってもらわなければならない……。

H:どこかに彼をかわいそうだという気持ちがあるわけです。しかしつき合っていくにつれ、自分の認識が間違っていたことに気がつきました。とてもショックだった。目が見えないということは、病気でもないし、人より貧しい、そして貧困であるということではない。健常者と比べられない、比べてはいけない世界があることを知ったのです。彼らには健常者の持っていない可能性があることにも気がつきました。
2年間の彼とのつき合いで、むしろ私のほうがいろいろなことを彼から学びました。この少年の目の見えないことによる強み、私の持ちえない新しい繊細な感覚、そうしたことから見えない少年自身が見えていること。そこでわかったのは、彼らの生活は、同情したり卑下するものではなく、素晴らしいものだということだったわけです。

K:大変面白い発見ですね。彼の中に自分が持っていない素晴らしい文化を見た。

障害という概念は、社会環境が勝手につくっているもの。

K:それだけ聞くと、一種の視覚障害疑似体験のように思われるのですが、実はそうではない。

H:そういう一面もありますが、重要なのはそこではありません。人は、最初やみの中に入ると、ショックを受け、不安になり立ちすくんでしまいます。全く違う環境に放り出されて恐怖を感じるわけです。人間はこうした不安や恐怖を打ち消そうと躍起になりがちなのですが、本来、不安や恐怖というのは人間がごく普通に持つ感情です。しばらくすると不安な状態を受け入れ、それを打開するための方策を探し始める。ガイドの方に声を掛けられ動き始めて、視覚以外の感覚を使うことを覚えます。手でまわりを探ったり、匂いをかいだり、またまわりの空気の流れも感じ始める。そして同じグループの人たちと声で情報を交換しあって、まわりの状況を把握していく。
この環境を作るため、ダイアログ・イン・ザ・ダークは1人ではなく、6~7人のグループで動くように設定してあります。

K:声を掛けあうことによって連帯感が生まれるわけですね。

H:そうです。視覚に頼っているときよりも、はるかに素直に話ができることに驚くはずです。全く違った環境の中で不安を感じながら、自分の五感や人との関係を再認識することから他人や自分との対話が生まれてきます。

まっくらな中では、健常者と障害者とは、一瞬にして逆転する。

K:するとこのプロジェクトは、目の見えない人のためというよりも、むしろ目の見える人が新しい感覚や関係性を得るためものというわけですね。

H:そのとおりです。このプロジェクトは、新しい感覚や新しい文化を知るためのものであり、生活環境、習慣の違う人たちと出会うためのプラットフォームなのです。ダイアログ・イン・ザ・ダークでいう新しい文化とは、目で見ることではなく、手で触ることによって得られる文化です。ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加するとくらやみの中で視覚障害者の方たちはごく普通に動けることがわかる、当たり前なのですが(笑)。普段と立場が逆になるのです。このことが、とても大切だと思っています。

K:この経験を通して、わたしたちは、普段、五感のなかで視覚を中心に生活していること、それとともに今まで持っていたあたりまえの概念が、当然変わってくる。

H:この経験によって参加者は、自分が普通の人ではないことに気がつく。なぜなら、この中では、目の見えない人が当たり前で、目の見える人は当たり前でないというように、立場は環境によって、変わりうるということです。

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